東京大学秩父演習林 栃本作業所


 

1. 東京大学演習林と栃本作業所の位置づけ

 東京都心部から約2時間の近郊にある東京大学秩父演習林は、「都市」と「自然」との接点としての重要な意味あいを持つ。環境との共生が人類にとって最大の課題であることが全ての人々の中に明確な認識となって浮上しつつある今日、大都市近郊にあり、かつ自然のままの広大な原生林を擁する演習林に期待される役割は将来的にもますます高まるであろう。
 栃本作業所は北、西、南の三方をこの演習林に囲われた入り口ともいえる谷あいに存する。用途としては山を守る技官の休む場所兼事務所、そして研究者のベースキャンプとして位置づけられる。今後専門家、非専門家、本大学他大学を問わず、多くの『森の探訪者』が訪れ、自然との語らい、『山を守る男』たちとの語らいを通じて、この施設から数多くの『自然と共に生きる知恵』が発信されるであろう。

 

2.安定した滞在環境を用意する
  ─『山を守る男たち』と『森の探訪者』たちの 『住まい』としての栃本作業所

 H.D.ソーローによる『森の生活─ウォールデン─』にみずみずしい感性をもって描き出しているように、自然との語らいの場は『意識の静かなる空間』である。人は自然と語らおうと試みるとき、おのずから耳を澄まし、心を澄ます。施設を訪れる人々には静かな意識の状態を持ってもらいたい。そして自然や『山を守る男たち』との語らいを通じて一人の人間としての自立を獲得してほしい。
 こうした認識のもとに、私たちはこの施設を『山を守る男たち』と『森の探訪者』たちの『住まい』ととらえ直し、彼らの自然との『語らいの場』として設計した。
 敷地は、幾多の努力によって立派に育った杉林の東向き斜面地にあり、既存の施設が建設された当時、急峻な谷あいの斜面を頑強な黒い玄武岩を積み上げ造成された細長い形状の平地である。東側に開けた眺望には遠く関東平野の都市部を望み、北東方向には谷筋の集落を、また南東方向には優しく穏やかな相貌を持つ原生林の山並みを見る。しかし、築後約75年を経たこの素朴な造成地は、一部石積みの擁壁が劣化し、盛り土がやや湿気を帯びて必ずしも快適な『住まい』を設置するのに適した環境にはない。
 そこで本計画ではまず、敷地の造成の劣化部分を修復し、水はけを改善する。そして建物の前に根切りで発生した土を盛り、台状の広場を設置する。施設を訪れた人々は、緩やかな円弧を描くスロープを上り、車を停めると、まず東側に広がる谷の風景を眺める。南方にそびえる美しい山並みへの眺望に導かれ、敷地の奥へと進み、この広場に至る。広場は計画的に言えば建物へのエントランス(前庭)でもある。この広場を『森の広場』と名付け、将来的に記念植樹等にて整えられた自然の庭となる下地をつくる。
 この<台>の上には大きな丸石や砂利を敷きならべ、アクセントとして自然石と古木、タマリュウなどを添えて、滞在者にとっての『語らい』の<舞台>としてしつらえられる。 計画建物は、この<舞台>をそっと守るように、等高線にそった自然な形状をもって置かれる。技術的には、このことにより建物が地山の地盤上に設置されることになり、永く安定した基礎を設置できるメリットもある。斜面上方の石積み擁壁が万が一崩壊した際にも最低限人命が守られるために、建物背面の外壁は構造的な要所をコンクリート壁とする。水はけの良い広場と自然の力から人命を守るコンクリート壁とによって、ここに人々のための安定した居住領域が確保される。

3.『静かなる語らい』を誘導する建物の内部空間と、その道具立て


 建物の内部空間を計画する上で意図されているのは、自然の中に居る時と室内に居る時の環境を近似させ、都市から訪れた人々の意識をさりげなく自然へといざなうことである。そのために、計画建物においては3つの道具立てが用意されている。一つは、水平に延びる深い庇を持つ屋根である。深い庇の軒下にはコンクリートと木材でつくられたデッキが連続し、2.で述べた台状の広場と室内の空間をなめらかにつなぐ。屋根直下の仕切壁はガラスとして見通せ、屋根の大きさが居室のどの場所からも感じられる。この大屋根に守られて、森と同様の照度をもった室内空間(やや暗めの静かな空間)が用意される。屋根の一部は持ち上げられて水平の高い側窓が設けられる。人々は室内にいながら、森に居るときと同様に、明るい空を見上げ、そこに連なる穏やかな山並みを見るだろう。また、人々が室内に座った時、視線は庇に導かれて自ずと『森の広場』へと向かい、『自然との語らい』が誘導される。
 二つ目は、<岩>を想起し、擁壁の迫力に対峙するべく、ひとまとまりにされた水回り空間である。トイレ、浴室、厨房などの水回り空間を建物の4カ所に集約し、黒あるいは濃い茶色で染色された木の板で包む。黒々とした4つのヴォリュームは、秩父の山に見られる大きな<岩>のメタファーでもある。<岩>は時に孔が穿たれ、事務室や宿泊ゾーンへのゲートともなる。敷地西側にそびえ立つ擁壁の迫力に対峙して、室内の安心感を高める心理的な要素でもあり、また構造的にも大屋根をしっかりと支える要所となっている。
 三つ目は、建物を貫く<道>である。細長い建物には全体を貫く見えない一本の<道>を計画してある。<道>は森の山道のように折れて奥行きがあり、場所により広がり外部の広場へとつながる広縁となり、時に<岩>のゲートをくぐり、端部には厨房に面した休憩コーナーが設けられて多様な場所がある。<道>を区切る扉はすべて引き戸とし、全て開放すると実際に建物の中を全て体験できる経路となるよう計画されている。
 建物内外に計画されたさまざまな道具立てを通じて、この小さな建物から人類と自然との多様な対話が生まれゆくことを、設計者は心より願っている。

 

 

       
建 築 概 要      
主 要 用 途 事務室、宿泊室 用 途 地 域 指定無し
敷 地 面 積 2,365.35 m2 規模/構造 地上1階/木造、一部RC造・鉄骨造
建 築 面 積 127.96m2 最 高 高 さ 4.68m
延 床 面 積 121.73m2 最 高 軒 高 4.44m
       
設計/監理      
建   築  八尾廣 (角倉剛、大野高志と共同)  
   株式会社 ティー.エイチ.ティー.アーキテクツ   
設 計 期 間 2003年12月〜2004年3月  
施 工 期 間 2004年4月〜2004年6月(竣工、写真未掲載)